 |
石碑保存の会 |
|

今はなき、バス通りにあった解体前の
旧市立工業高等学校の校舎バス停近くに
あった石碑 |
|
校章は、工業の「工」の字六つを六角形に
図案化し、雪国を象徴的に表し、中央に穏
健着実型の「工」の文字を配して作られた。
これは、開校前の木工試験場長の竹内氏
が考え、初代校長の美旗実之助氏が図案
化したものです。 |
|
|
|
|
この碑は、新潟下町に唯一あった高校であり、
7,000 名の若き技術者が巣立ち港町新潟の発展に貢献した。
昭和39 年の新潟地震では、地域の方々の避難場所となった。
昭和57 年、新潟市学校統合方針により閉校したがその後、
北部総合コミュニティセンターとして、図書館として、
地域の方々の運動場として、下町に親しまれた施設であった。
この石碑は、新潟市下町の歴史でありその「証し」として残し、
次世代に伝えるべきものと、市立工業高等学校卒業生の
加藤 功に連絡し保存活動を開始した。 |
|
石碑除幕式ご案内
 |

|
|
|
 |
新潟市立工業高等学校卒業生の皆様
新潟下町企業、団体の皆様
下町町民の皆様
❍ 今、附船町1 丁目の、元新潟市立工業高校跡地の有効活用計画が、(株)ひらせい
様の主導の元実施されていることは、ご存じのことと思います。
❍ そして、ここにありました「新潟市工之跡」石碑が、土地所有者(株)ひらせい
様の地元への社会貢献協力事業として、移設・再建されることが、このたび決定い
たしました。関係者の理解、ご協力に「感謝」申し上げます。
❍ この石碑の保存活動については、昨年11 月から同校卒業生や地元町民の皆様のご
協力をいただき400 名にも上る署名を得られたことは、入舟コミニティ協議会及び
関係者のご協力のおかげと感謝いたしております。
❍ さて、この石碑の再建にあたりましては、関係者はよく承知しておりますが、発
見した時が遅く、「石碑の台座破損、土台基礎部破損・位置不明」となっていて、
再建には「特別追加工事」が必要となり、専門家の見積もりによりますと、100 万
円程の資金が必要となっています。
❍ この石碑は、下町の人にとっても町の文化遺産です。又未来の子ども達に、この
土地の歴史を伝える、良きメモリーストーンになることと思います。
❍ 卒業生を中心に寄付を集めていますが、卒業生も高齢の為連絡がなかなかつきま
せん。事業は急を要する為地元の人々、地元の企業のご協力を何卒よろしくお願い
いたします。町内会毎のご協力も何卒よろしくお願いします。
「新潟市工之跡」石碑保存の会
代表・附船町1 丁目住人 岩間正吉
・昭和34 年卒業生 久仁京介
・附船1 丁目町内会長 近藤清
・昭和40 年卒業生 加藤功
お問い合わせ先:「新潟市工之跡」石碑保存の会
加藤功 携帯 090-4701-3910 |
|
|
◎ 新潟市下町に、唯一の新潟市立工業高等高校が開校
昭和20 年3 月 新潟市立工業高等高校として開校
(新潟市鉄工組合の解散により、その建物や機械器具を新潟市が譲り受けて開校、
生徒50 名、専任職員3 名、講師8 名)
〃 21 年4 月 新潟市木工試験場を買収、本拠とする
〃 23 年3 月 第一期卒業生 40 名
〃 23 年4 月 新潟市立工業高等学校と改称し、定時制課程も設置
〃 24 年2 月 国立倉庫解体の用材を用いて体育館、普通教室を作る
〃 25 年4 月 国内唯一の造船科を新設 生徒40 名
〃 26 年3 月 校歌制定 作詞:大木 惇夫、作曲:岡本 敏明
〃 31 年4 月 機械科1 学級増設
〃 〃 第二代目磯貝校長により「校訓」が決まる
〃 32 年4 月 定時制に機械科1 学級増設
〃 34 年4 月 電気科1 学級新設
〃 36 年4 月 定時制に電気科1 学級新設
〃 38 年3 月 改築校舎本館完成
〃 39 年6 月16 日 新潟地震発生、津波と液状化により付近一帯床上浸水となる
〃 39 年6 月30 日 授業再開
〃 42 年10 月 新体育館完成
〃 44 年9 月 新校舎増設1 期工事完成
〃 46 年10 月 創立25 周年記念式典挙行
〃 48 年4 月 新教育課程発足機械科1 学級増設
〃 50 年10 月 創立30 周年記念式典挙行
〃 53 年12 月 市議会にて市立高等学校整備が決まる
〃 54 年1 月 市立白山高校、市立工業高等学校の両校で検討
〃 55 年4 月 新潟市立高志高等学校発足
〃 56 年3 月 定時制閉課程記念式挙行
〃 56 年11 月 閉校記念碑「新潟市工之跡」碑除幕式
本校正面玄関脇の庭に、裏面に校章、校名、校歌、沿革、卒業生数等を記す
書体は、大泉二郎氏(昭和40 年定時制機械科卒)作成
〃 57 年3 月 最後の卒業証書授与式
卒業生総数 6.956 名
全日制課程 4.982 名 定時制課程 1.974 名
機械科 2.957 名 機械科 1.323 名
電気科 1.462 名 普通科 258 名
造船科 563 名 電気科 393 名
昭和58 年4 月 新潟市立工業高等学校の跡地に北部コミニテイーセンター入所
昭和58 年4 月 北部コミ二ティセンターオープン、本館2F に舟江図書館移設オープン
令和元年7 月 旧入舟小学校の跡地に北部コミ二ティセンターオープン
同日 北部コミ二ティセンターオープンに伴い、本館2F に舟江図書館移設
令和成4 年3 月 跡地一般競争入札 株式会社「廣瀬」が落札 校舎解体
記念碑は台座の脇に寝かされた
同年10 月1 日 よみがえれ!わが町に「新潟市工之跡」の石碑の記事
同年10 月17 日 附船町住民の岩間 正吉氏が記事を発見、
同年11 月20 日 附船町町内会長の近藤 清氏も賛同、記念碑保存の署名集め開始
同年11 月30 日 佐藤正人市議、伊藤健太郎市議と加藤が、ひらせいホームセンター清水社長と会い、
社会貢献事業として保存の了解をいただく
同年12 月13 日 「新潟市工之跡」記念碑保存の町内会回覧署名集めを配る
同年12 月末 「新潟市工之跡」記念碑保存の署名簿400 名となる
令和5 年2 月26 日 会の名称を「新潟市工之跡」石碑保存の会とした
同年3 月 「新潟市工之跡」記念碑台座案作成
同年4 月 「新潟市工之跡」記念碑移設看板の文面案を作成
同年6 月 ようやく記念碑を置く場所が決まる
同年7 月 「新潟市工之跡」石碑移設除幕式を予定
新潟市立工業高等学校卒業生
★佐藤 忠男氏 文化功労者
★三輪 悟氏 プロ野球選手
★久仁 京介氏 作詞家
★三林碩郎、第86 代新潟県県会議議長歴任 2019 年死去、72 歳
★小嶋栄吉、日本労働組合総連合会新潟連合会議長歴任 など
|
|
|